第20号

新入生からの寄稿

 

異端児ギャルソン、楽理科に現る

学部1年 藤野 温人

 最初に断っておく。真面目で堅い文章を書く気はない。それは、標題からも分かっていただけるだろう。本稿では思ったままを自由に書こうと思う。などと書くと聞こえがいいが、実際には私に書く能力がないだけである。昨年や一昨年の『新会員からの寄稿』を拝読し、どれだけ自分が他の方々と比べ劣っているかを痛感させられた。そして、それは藝祭の企画課に入れなかったことが証明しているのではないか。というのが、直近で思った事である。

 楽理科に入学して、改めて自分がどれだけ変人であるかを思い知らされた。もちろん今までも変人であることを指摘されたことは多々あったが、まさか(奇人変人が集まる?)藝大に入ってまで言われるとは思いもしなかったのである。自覚症状はあまりなかったのだが、聞いたところによると、私は入試の時点でとても目立ち、とてもご迷惑をおかけしていたようである。地面に座り、物をあさり、書く音はうるさく、しまいには試験中に声を出していたとか。この場を借りてお詫び申し上げる。申し訳ない。

 私は、そんな野蛮人ではあるが、どうも(無事に?)入試を突破できたようで、楽理科の一員になり早くも3ヶ月が経った。この3ヶ月で、他の楽理科の一年生は私の扱い方を学ばれたようで、私は毎日のように「これ以上、楽理科のパブリックイメージを下げるな」と忠告を受けるようになってしまった。罵声を浴びることは覚悟の上であえて言うが、私は今後もありのままでいようと思う。もちろん、常識ある行動と言動を心掛ける事も可能ではあるが、私の場合、それはとてつもなく困難を伴うだろう。むしろもっと他の事に注力した方が有意義なのではないか。私はそう思う。なので、今後も私のエゴに少々お付き合いいただけると幸いだ。

 さらに各所に迷惑をかけることになってしまうことは重々承知しているが、せっかく大学生になったので、できるだけ色々なことに手を出して見ようと思っている。藝祭のイベント課(配属されたからにはできる事はやろうと思う)、藝祭の御輿隊長、獅子ゼミやバッハカンタータクラブ、新設の合唱団潮騒、g-celt、インカレのオーケストラにも入部した。そして、バイトを二つ。色々な事に手を出し過ぎだという意見もあるが、多くの事にあえて手を出すのには理由がある。残念な目立ち方をしているため、多くの方に変な輩がいると認識をしていただいているが、私の方が相手を認識できていないのが現状である。こんなにももったいないことはないので、より色々な人(音校だけでなく美校、他大学、さらには他の年齢層の方々)と知り合いになりたいのだ。また、恥ずかしながら、私はまだまだ知らない事やできない事が多々あるため、少しでも自分にはないものを吸収すればするほど自分の引き出しがより豊かになる。多方面に知り合いを作ろうとしたり、あえて自分を忙しくしたりしているのは、そう信じてのことである。

 暴れん坊で、時として制御不能なギャルソンをどうか今後とも温かく見守ってください。よろしくお願いします。それが、この寄稿文の最後に私が記しておきたかったことである。

 


「楽(がく)は楽(らく)なり」

博士1年 長澤 文彩

 「楽(がく)は楽(らく)なり」は、中国古典の『禮記』にみられる一節である。本来は単に音楽は楽しいものであるという意味ではなく、儒教的な思想に基づいたものであるが、『論語』で「図(はか)らざりき、楽(がく)を為(つく)ることの斯(ここ)に至(いた)らんとは。」と孔子がいうように、中国では古くから音楽は人の心を大きく動かすものとされていた。

 私の専門分野は「音楽考古学」である。音楽考古学という言葉は、耳慣れないかもしれないが、「音楽学」と「考古学」という二つの分野を横断する学際的な研究分野である。その中で、中国古代音楽と楽器を中心に研究を進めている。

 歌うことが大好きだった私は、小学生の頃から児童合唱団に所属していた。大きな演奏会に出演するうちに、音楽には言葉にはない、人を動かす圧倒的な力があることを幼いながらに知り、いつしか「声楽の道を志したい」と思うようになっていた。高校生3年生の冬、自分も人の心を動かす歌を歌いたいという思いを胸に藝大の門を叩いたが、その時は門の中へ入ることを許されなかった。このことは当時の私にとって大きな挫折であった。

 その後、縁あって飛び込んだのが考古学の世界だった。考古学は、人類が残したモノを手掛かりに当時の社会を復元する学問分野である。古の人たちが何を考え、どのように暮らしていたのか。自分の手で発掘し、モノを通して考えることの楽しさを知り、私は次第に考古学の世界にのめり込んでいった。考古学といえば、やはり埴輪や土器などをイメージするかもしれないが、その中でも音楽に関わることを研究したい、という思いから研究対象としたのが中国古代の楽器であった。中国では出土楽器が多く、また文献史料も残っていることから、これほど面白い分野はないと思った。

 修士課程まで考古学を学び、修了後も細々と研究を続けていく中で、楽器の研究をするためには考古学の視点だけではなく、音楽学の視点も不可欠であることを感じ始めていた。東洋音楽や楽器についてどこか研究できる大学はないだろうか。考えた末に今年の4月、藝大の門をもう一度叩くことを決めた。

 最初に藝大の門を叩いてからちょうど10年。声楽ではなく、音楽考古学の研究のためにもう一度藝大の門を叩くことになるとは、その当時の自分は思ってもみなかっただろう。大きな挫折もあったが、今こうして好きなことを研究できているのは、声楽や考古学、そして音楽学、それ以外にも沢山の分野で、人との出会いに本当に恵まれてきたからだと思っている。だからこそ藝大、そして楽理科でのこれからの出会いも大切にしていきたい。

 楽理科の学生は、音楽を研究するだけではなく、自ら演奏しながら、各々が音楽を楽しんでいるように思う。今は、その中で刺激を受ける毎日である。今まで自分が当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではなかったり。それに気づき、そして考えることが、本当に楽しい。

 楽(がく)は楽(らく)なり。中国古典の本来の意味とは異なるかもしれないが、私なりに音楽することを楽しみ、これからも「歌う研究者」として、邁進していきたい。