第10号試用版


楽楽理会からのお願い       

 楽楽理会会長・前和男

 2003年に創刊された『楽楽理会通信』も、本号で第10号を迎えました。ミニ通信ながら、この10年を振り返れば21世紀に入って楽理科および本会がたどった軌跡を映し出しており、感慨を禁じ得ません。
  さて、早速本題に入りますが、記念すべき第10号の発刊を機会にお願いしたいことが二つございます。一つは、『楽楽理会通信』の紙媒体での発行を本号限りとし、電子媒体に移行することをご承認いただきたいことです。ご存知の通り、楽楽理会は楽理科の卒業生と在校生、教員経験者の親睦を目的に結成され、5年ごとの総会・懇親会の開催と会員名簿発行、年1回の通信の刊行、楽理科就職支援データバンク等の諸活動を続けてきましたが、名簿の売上などを充当してきた運営資金が底をつき、このまま印刷費および送料を負担することが難しくなって参りました。その一方で、この10年間に電子媒体で情報をやりとりする環境は進展してきています。この双方を斟酌し、『楽楽理会通信』の発行を今後も継続するために、紙媒体を廃止しようという相談がまとまりました。日頃パソコンをご利用でない方々には、ご不便をおかけすることにもなるかと懸念いたしますが、なにとぞ事情ご賢察のうえ、ご賛同、ご協力いただければ幸甚に存じます。
  なお、今後のこうした変化を試験的に体験していただくために、昨年発行した第9号と第10号の冒頭部分を楽楽理会ホームページ上にも掲載いたしました。電子版をご覧いただき、忌憚のないご意見をいただければ幸いです。
  もう一つは、楽楽理会への御寄付についてのお願いです。目下、資金が逼迫した状態にあることはすでにお伝えしたところですが、今後、電子媒体に移行するとしても、ホームページの作成・維持などに年々ある程度は費用が発生します。また、5年に一度の総会・懇親会の開催通知や名簿作成作業にも相当の資金が必要になります。
  そこで、強制するものではありませんが、楽楽理会のみなさま方に、こうした業務の支援のための御寄付をお願いしてみようという次第となりました。みなさまの御芳志を以下いずれかの口座にお寄せいただけますと大変有り難く存じます。

ゆうちょ銀行(郵便局)からの振替
口座名「楽々理会(ララリカイ) 記号10150-12981011

他の金融機関からの振り込み
〇一八店(ゼロイチハチ店)普通預金 口座名「楽々理会(ララリカイ)」 口座番号 12981012.三井住友銀行 日暮里支店(店番号 647)普通預金 口座名「楽楽理会(ララリカイ)」 6475598

  大きな変革となりますが、これを機会に、通信の発行とは別に、楽理科関連情報、卒業生の活躍に関わる情報の提供なども行っていく所存です。どうか諸事情お汲み取りの上、みなさまの一層のご理解とご支援をお願い申し上げます。


いま楽理科では ―主任からのご報告―       

 福中 冬子(楽理科主任)

1.新学期を迎えて

 昨年度は、震災や原発事故、その後の計画停電などの影響で、3月の卒論・修論・博論発表会や 卒業式、そして4月の入学式が中止になるなど、すべてが尋常ならぬ中で新学期が始まりましたが、今年は幸いにも、授業・大学行事等全てがスケジュール通りに進んで おります。震災以来、入場者数を制限していた奏楽堂での演奏会も従来の体制に戻りました。一方で、政治は歴史的な混迷状況を呈しています。30年・50年先の日本の あるべき姿を論じることなく、数年先の権益保持を巡って右往左往する政治家の姿には怒りを通り越して生理的嫌悪感さえ憶える今日この頃です。また文科省は現在 「大学改革実行プラン」なるものを模索しており、先日開かれた国立大学長を集めて行われた説明会では、再編・統合ありきの「改革」ではないものの、各大学に自らの ミッションを再定義するようにという要請があったということです(『日本経済新聞』、6/19)。もはや我々も、国立唯一の芸術大学という担保の上にあぐらをかく事は できないようです。文化・芸術の継承・創造は、限られたコミュニティーのための「娯楽」ではなく、むしろ社会全体が未来を築いていく上で必要な過去・現在の批判的 検証と密に関わるものであることを再認識し、訴える必要がこれまで以上にあるように思われます。

2.今年度の入学者数等について

  今年度に迎えた入学者数は別表の通りです。今年度は学科出願者が50名を超えました。 6月16日には大学院音楽研究科出願予定者向けの説明会が行われ、学内外から29名が参加し、指導を希望する教員との面談も行われました。一方、学部出願者向けの 説明会は7月28日に開催されました。音楽環境創造科の位置づけも定着してきたことに鑑み、今年からは音環とは別々の説明会となりました。

3.受賞のお知らせ

  本学名誉教授の横道萬里雄先生(楽理科在職1976~1984年)が、2011年度文化功労者に決定しました。選定理由は「能楽研究を中心に、音楽など記録しにくい芸能要素を的確に記述する方法論の確立を追求。客観的な視点で、異種目作品でも共通基準で分析する研究方法の先鞭をつけた」 というものです。昨年12月には横道先生のご高著『日本の楽劇』が岩波書店から刊行されています。
  また、大角欣矢教授が、第24回「辻荘一・三浦アンナ記念学術奨励金」を受賞されました。同賞は、立教大学名誉教授の故辻荘一先生、そして故三浦アンナ先生の功績を記念して設けられた賞であり、今年度は大角教授の16・17世紀のプロテスタント音楽に関する研究に対して贈 られたものです。お二方のご偉業に敬意を表しますとともに、一層のご活躍をお祈り申し上げます。

4.最後に

  私事で恐縮ですが、楽理科に着任して3年目となりました。初出講日、私を藝大正門で迎えたのは一匹のガリガリにやせた白い子猫でした。その後人口(猫口?)調査をしたところ、藝大構内で毎年少なくない数の子猫が生まれて続けている事が判明。学生や台東区区役所の紹介を経て知り合ったヴォランティアの皆様の助けを得て避妊・去勢手術にとりかかったのが一昨年夏のことでした。楽理科の卒業生の方々の暖かいご協力で里親さんを探すこともでき、また学長の暖かいご理解のお陰もあり、今では8匹〜10匹の猫が音楽学部側で平和に暮らしています。キャンパスにおいでの際は、ぜひ声をかけてあげてやってください。


楽理科の現状(2012年4月1日現在)

学生数

  • 学部入学定員  23名
  • 学生総数 153名(学部101名、修士課程26名、博士後期課程26名、研究生0名
  • うち外国人留学生総数;   7名
  学部           修士         博士             研究生
  学部1年 学部 2年 学部 3年 学部 4年 学部 5年 学部 6年 修士1年 修士2年 修士 3年 修士 4年 修士 5年 博士1年 博士 2年 博士 3年 博士 4年 博士 5年  博士 6年 博士 7年 研究生
 総数  23  23  24  23  7  1  10  9  4  2  1  7  4  6  3  4  1  1  0
 男子内数  3  6  10  3  3  1  2  3  2  1  0  1  1  2  3  1  0  0  0
 女子内数  20  17  14  20  4  0  8  6  2  1  1  6  3  4  1  3  1  1  0
 留学生内数  0  0  0  0  0  0  2  0  1  1  1  1  0  1  0  0  0  0  0

♫卒業生より♫ 

繋がるため、祈るために

中村仁美

「日本には雅楽という、博物館の陳列ケースにでも入っていそうな古い音楽もいまだに演奏されているんだよ」と、高校の先生がおっしゃったのが、どこか記憶に残っていたせいもあったろう。楽理科1年生の時から雅楽の授業をとっていた。

たまたま割り振られた篳篥は、大変だけれど結構面白かった。何より芝先生の笛の音は素晴らしく、人を惹きつける魅力があり、芸祭やら何やらを目標に、仲間と合奏を仕上げるのも楽しかった。

伶楽舎」という雅楽演奏グループに誘っていただき、卒業後も結婚出産後も、やめずに演奏活動を続けることができたのは、幸運といえるかもしれない。 現在では、古典雅楽を演奏するだけでなく、現代作品も毎年数多く初演・再演させていただいている。ホールや神社などで演奏するほか、海外の音楽祭に参加することもあれば、小学校や特別支援学校、病院などで演奏したり、時にはライブハウスで様々なジャンルの方と即興セッションすることもある。

今年は2月に、福島とニューヨーク、ワシントンDCでミュージック・フロム・ジャパン音楽祭に参加した。福島では10年以上前から演奏会とワークショップをさせていただいてきたので、震災後何かお役に立てないかと願っていたのだが、飯舘村に捧げる新作曲2曲を初演することで、思いを音に託することができた。 音を通じて自分と客席の方々が繋がる感覚は常々あるのだが、ニューヨークでこの曲を演奏した時には、深い悲しみを帯びた共感の波が広がる様を体で感じることができ、その感覚を忘れることができない。

ところで、なぜ雅楽が千年以上も伝えられたのかを考えると、人間が楽しむための音楽ではなく、雨乞いのため、地鎮めのため、祭祀のため……目に見えぬ大きな力に向かって祈るために必要なものだったからだろうと思う。

「震災直後、他の音楽は何も耳に入ってこない状態になってしまったけれど、雅楽だけは聴けた」と言ってくれたある被災者の方は、今も雅楽を心の支えにしてくださっているが、私もあまりに悲しみが大きく不安な時には、祈りを込めて雅楽を奏さなければ、心の平安を保てない気がした。そして必死の祈りを込めて雅楽を奏していた人々は遠い昔からいたに違いなく、祈る手段として必要だからこそ雅楽が今に伝わったのだろうと気づいた。 ときには、雅楽を越えた七色の音を篳篥から引き出して自由に操りたい、などと浮気心たっぷりな私ではあるが、これからも雅楽を通して目に見えぬものに祈り、人と繋がっていきたいと思う。


楽楽理会通信第10号 デジタル版 終了