第15号

新会員からの寄稿

『新世界へ』

学部1年 千葉 大雅

 去年の夏、まだ私は藝大を受験しようとは全く考えていなかった。放送作家としてTBSテレビ『上田晋也のニッポンの過去問』の制作に携わりつつ、一方で気象予報士として気象庁気象科学館で親子連れを相手に自由研究の手助けをしていた。秋には『Nスタ』の森田正光さんや『ひるおび!』の森朗さんの手伝いを始めたが、教養を高めるために大学へ行きたくなり、センター試験の受験を決めた。冬が来て、大学選びを始めたとき、最も魅力的に見えたのが藝大だった。公式ホームページを隅々まで読み込み、世界中の音楽を学ぶことができ、実技のレッスンも受けられ、外国語の習得を重視している、という楽理科の手広さが一番気に入った。中学・高校のときに部活のオーケストラに熱中していた自分が思い起こされ、入れたらいいなと思った。
 受験勉強スタート。手に入った3年分の過去問を、徹底的に研究した。独学では不安もあったが、ご無沙汰していたヴァイオリンの先生にも恥ずかしくて連絡できず、師事した先生を記入する欄は真っ白のまま願書を出した。職場の人にも「藝大を受ける」とは言えず、欠勤することもなくひっそりと受験を終えた。
 そして今、ほぼ思い描いていた通りに学生生活を満喫している。特に、これまで私が関わることのなかった、専門的な教育を受けてきた人たちとの出会いが本当に刺激的だ。隣で授業を受けている友達が海外のコンクールの優勝者だったり、たまたま授業で知り合った外国人が実は世界的なピアニストだと知って驚いたり。ベートーヴェンの交響曲第6番を「でん……がく?」と真顔で答える人や、108×3の計算にてこずる人がいて笑ったり。でも、彼らの歌声には心を動かされたり。能楽専攻の先輩が飲み会のあとに「帰ったら稽古」とおっしゃって、敬服させられたり。「○○門下」と言っている楽理の友達が、なんだかかっこよく見えたり。美校の授業に行って、周りの人の創造力に圧倒されたり。語学の勉強も大変だが、非常に楽しい。初級演習の発表準備で取り乱し、いつのまにか英・独・仏・伊すべての辞書を開いていたときには、すさまじい学科に入ったものだと感じた。そば屋ののれんの崩し字が読めたときには、読めない日本語が減っていることに安心したものだ。
 先日、ある授業で「楽譜は冷凍食品で、その解凍法は秘伝」と教わった。おそらく藝大楽理科は、その秘伝の部分を解明するのに最適な環境に違いない。まだまだ楽しみが尽きない。


ブルーホールの胎児

修士1年 増田 愛子

ブルー-ホール〔blue hole〕
浅瀬の一部が急激に落ち込み、深い穴になっている部分。洞窟や溶食穴などが海中に沈んでできる。ベリーズ珊瑚礁(さんごしょう)保護区のグレートブルーホールは直径300メートル以上あり、有名。
(2017/06/24, 小学館 デジタル大辞泉より)

 「音楽学」とはなにか——入学から此の方、この問いは常にあたまの片隅にある。そして、その答えは未だ、片鱗すらつかめない。
学部時代は、ことばとそれに付随する様々な文化的事象を対象に、楽しく広く、美しく哀しい、「総合文化」と称される世界で過ごした。そこはまるで、色鮮やかな珊瑚が果てしなく広がる、あたたかであかるい、南の海のような世界であり、私の知的好奇心を刺激し、学部なりの浅さでもって適度に満たす、かくも愉快な場所であった。
 その大学には、とりわけ音楽を専門的に扱う教授はいなかったものの、私の関心は、常に音楽にあった。そもそも、学部の専攻にことばを選んだのも、偏に音楽をより深く理解したいという想い故であった。珊瑚の海でどんなに心惹かれるものに出会おうとも、私はいつも、まるで極彩色の熱帯魚のように鮮やかな「音楽」という存在を追いかけていたように思う。
 そうしてふわふわとしていたのがいけなかったのだろうか。「好き」だけを追いかけてやって来た音楽学の世界は、深くて暗くて、時折ひどくせまく感じる。
突如浅瀬に現れるブルーホール。その底の見えぬ深さに、私は尻込み、そのうえを揺蕩っている。或は、恐れのあまりもがくこともできず、その暗い穴で溺れようとしているのだろうか。
沈み行く自分をイメージする。真っ暗な世界、体を取り巻く水、感じるのはただ、自分の鼓動のみ。

 ふと、思う。まるで、母胎で四肢を丸めた胎児のようだと。

 海水と羊水の成分は似ていると、どこかで聞いたことがある。その真偽はさておき、今私がいる、ブルーホールが如き音楽学の世界は、そんなにも恐ろしいところなのだろうか。本当に私を呑み込もうとしているのだろうか。私が望んで来た世界なのに?

 ブルーホールは恐ろしい。しかし、そこは外界から断絶された場所でもなければ、一概にせまい場所とも限らない。横穴があるかもしれないし、迷宮のような洞窟が広がっているのかもしれない。そして、外の世界と繋がっている限り、穴の中を理解するには、珊瑚の海のことも知らなければならないだろう。きっと何年経とうとも、その全容はつかめない。
 今の私は、さながらブルーホールに浮かぶ胎児といったところか。母胎と似た、しかし外の世界とも通じたこの場所で、胎児の私は何を吸収し、どう成長できるだろう。母体とつながる緒のない世界で、なにをつかみにいけるのか。それはまだ、誰にもわからない。
 ただひとつわかるのは、もし私が胎児ならば、ありとあらゆるものを吸収し、ここからなんにでも変わることができるということだけだ。