第17号

新会員からの寄稿

「息づかい」

中島瑞稀

 平成31年4月1日。次の元号が令和と発表された日である。オリエンテーションの開始時間より1時間以上の余裕を持って上野駅の改札を通ったが、会場に到着したのは開始数分前であった。上野といえば第一に東叡山寛永寺であり、加えてその日は路に桜が咲き溢れるほどであったから、花見ついでに藝大の周りに点在する塔頭を見て回っていたのである。歴史好きの私は、訪ねた子院から微かながらも江戸・明治の「息づかい」が感じられるような気がし、時間を忘れるように夢中になってしまった。
 そして、このような令月に相応しい出来事から足早に月日は流れた。ゼミや授業の課題、更には書類の提出に追われ、大学院での生活も早くも3ヵ月が経とうとしている。

 私は一般大学から楽理科の大学院に進学した者の1人である。院試前はほぼ感じなかったが、寧ろ合格を頂いてから、良くも悪くも世間で “秘境” などと囁かれている藝大の学生になることに一抹の不安を抱くようになった。それ故、藝大の大学院で音楽学を専攻することの意味を入学前もその後もひたすら問い続けた。未だに明確な答えにたどり着いていないが、言語と音楽学研究の関係についてはささやかに思うことがあるので、徒然なるままに書き留めてみようと思う。
 まず、楽理科では多くの学生が複数の言語を学んでいる。様々な言語で書かれた曲を歌う声楽科や、古い日本語と関連の深い邦楽科、また音楽と言葉の関係性について研究する音楽文芸研究室が設置されているためであろうか、言語を学ぶことに重きを置くのはどうやら藝大の学風らしい。楽理科においても、英語と第二外国語に加え、第三、第四、第五といったように複数言語を操る人が多い。このような多言語運用能力によって、日本語訳を使用する際に他の言語への翻訳も比較・参照することができ、翻訳者の解釈やオリジナル・テキストの微妙なニュアンスを汲むことが可能となる。たとえ自分が習得していない言葉であったとしても、楽理科内を見渡し、それを知っている誰かに教えを乞うことで、原典資料の「息づかい」を窺うことができる。
 更に、研究に必要な言語を習得すると、それと密接に結びついた音楽作品や作曲家、当時の社会への理解も一段と深まっていく。私の修士論文のテーマはシューベルトのミサ曲における歌詞の改変についてである。例えば、シューベルトの言葉の選択、あるいは省略から作品の背景を読み取り、その上でそれに付曲された音楽にアプローチをする。そのような作業は、まるで私の愛するシューベルトの「息づかい」を感じながら、音楽作品、ひいてはシューベルト本人と対話しているようである。

 このようにして今日も明日も、資料に書かれた言葉から「息づかい」を掴みとる試みが続いていく。上野寛永寺の場合とは少し異なり、時間的にも空間的にも遠く隔たるものを対象とすることは時に困難を伴うが、それだけに「息づかい」を捉え、それを言葉で表現できた時のよろこびは一層大きくなる。


編集後記

 『楽楽理会通信』第17号をお届けします。先週の7月20日・21日に、恒例の音楽学部オープン・キャンパスが開催され、5-109教室での楽理科説明会はほぼ満席となりました。この秋には、5年ぶりの楽楽理会総会と懇親会も予定されています。誕生から70年を経たユニークな学科への、皆様の変わらぬご支援をお願い申し上げます。
 今号には、卒業生の太田暁子さん、高坂葉月さん、川口成彦さん、新入会員の中島瑞稀さんにご寄稿いただきました。記して感謝いたします。なお、今回よりホームページ作成担当者が、孫瀟夢さんに交代しました。

発行:楽楽理会(会長・加納民夫)
編集: 土田英三郎、塚原康子、橋本かおる、孫瀟夢
2019/07/31発行