第22号

新入生からの寄稿

 

羅針盤に導かれ

学部1年 横井 嶺花

 藝大、 ここは私にとって憧れの学舎だった。 特に楽理科は、 音楽高校をピアノ専攻で修了した私にとって、ピアノ等の実技系科目を素晴らしい先生方に教わりながら、 高校時代に興味を持った音楽史や音楽理論等の座学系科目を専門的に学べるというやりたいこと全てが叶えられる夢のような環境だ。

 そんな憧憬の地である藝大でのキャンパスライフもはや2ヶ月経った。 入学時の期待通り、 藝大での生活は日々刺激的だ。 尊敬できる先生方による高度で良質な授業やレッスン、 そこで飛び交う同じく音楽学を学ぶ同期や先輩方からの鋭い質問や考察には日々驚きの連続だ。

 しかしこうした贅沢で充実した日々の反面、 まだ私は何も音楽のことを知らないのだという無力感を痛感することも確かだ。 古代ギリシア哲学者のソクラテスは 「無知の知」 という格言を残したが、 まさに楽理科での日々は無知の知の自覚の連続だ。 学べば学ぶほどに自分の知らない領域の存在を認識する。 しかしそれが物事の理解や学習のレベルを着実に高めていくための過程なのだとしたら、 理解や学習とは物事の本質に迫っていくための果てしないトライアルなのであり、 ある意味修行の過程ともいえよう。

 さて私はそんな修行の過程とも言える学問の道において音楽の素晴らしさを忘れないことを意識し続けたい。 そんなことは当然だと思われるかもしれないが、 修行の過程とは時に肉体的、 精神的苦役が伴うものだろう。 だがそんな時でも音楽と真摯に向き合い続けたいというのが私の意気込みなのだ。 実際に高校でのピアノ専攻時代、 毎日ピアノが好きだという理由だけで演奏できていた訳ではない。 試験やコンクールで挫折を味わった時、 演奏する意味を見失い、 ピアノを辞めたいと思う時もあった。 しかしそれでも貪欲に音楽を学びたいと思えたのは音楽の素晴らしさ、 音楽による感動体験があったからであり、 音楽は私を救ってくれ続けた。 音楽とは私にとって生きることに直結しうる生きがいなのであり、 私の人生を導くもの、 いわば人生における羅針盤のような存在なのだ。

 そして入学式の開式時に流れたリヒャルト・ヴァーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第一幕への前奏曲はまさに羅針盤の如く私を導いた。 華々しいパイプオルガンによる音が光の如く空間に弾け、 そしてそれらは私に沢山の希望を抱かせながら降り注ぎ、 将来への道が拓いた瞬間となった。 またこのオペラの登場人物のザックスによって語られる 「人生には多くの困難や心労があります」 「それでも美しい歌を歌うことができる人たち、 そういう人たちをマイスターというのです!」 という言葉はまさに私の意気込みと大いにリンクした。 この言葉のように時に修行の過程にて意気消沈しても、 常に向上心を持ち続け、 立派な成果を残す研究者のマイスターに私はなりたい、 入学式での音楽はまさにそう強く思わせてくれた。 そしてあの日、 希望と覚悟を抱かせてくれたあの音を胸に、 人として、 研究者としても成長し、 社会に貢献できるような人間になれるよう日々邁進していきたいと思う。

 


人生はレベル上げ

修士1年 佐藤 舞弥

 「本気で言っているのか。」この言葉を何度言われたことだろう。数えるのをやめたのは随分前のことだったと思う。私の夢はいつも周囲に実現不可能だと思われているらしい。東京藝術大学への入学もそのうちの一つだった。しかし、周囲に不可能だと言われたこの夢を私は大学院への進学で実現させたのである。いつまでも夢心地でいられないと分かっていても、入学して2ヶ月が経とうとする今、まだこれは都合のいい夢なのではないかと思ってしまう。藝大で学ぶということを大学受験で一度諦めた私にとって、それは大きな憧れであり、険しい道のりであった。そのため、いまだに自分がその権利を得たことが疑わしくなってしまうのだ。

 一度、諦めたのは周囲に無理だと言われるのを否定できないぐらい自分にレベルが足りなかったことを自覚していたからである。それは例えるなら木の棒一本で魔王を倒しにいくようなものであった。それでも私はこの夢を諦めきれず、自身のレベル上げに励んだ。その甲斐あって、ここに入学したのはいいが、そのレベル上げの意味は果たしてあったのか、なかったのか、日々講義や会話において自分の知識量の無さや考え方の稚拙さ、視野の狭さを実感している。しかし、不思議とそこに絶望感はなく、それと同時に得る新しい知識や気づき、物の見方を発見するのが楽しくて仕方ない。入学して2ヶ月、今の私は手に入れたばかりの武器で同じクエストに挑む周りについていくのが必死な状態にいるが、レベル上げを続けていくことで手に入れた武器を使いこなし、自分の力でクエストクリアを目指すのである。

 私はゲームが好きだ。今この原稿を執筆しながらレベル上げや武器、クエストなどの言葉を使用しているのもそれに準えている。ここで使用しているように、私はよく人生をゲームに例えて考える。何か自身に降りかかる難題や講義の課題などはゲームマスターから提示されるミッションとしてのクエストに置き換え、それを解決するために学んだり悩んだりすることをレベル上げとし、そこで経験値や武器となる知識などを得ることで、自身のレベルを上げていく。すると当然ながら解決できる問題や自分にできることが増えていく。このようにゲームのシナリオと同様に考え、問題解決に挑むことがある。しかし、やはり人生にはゲームと同じように説明できないことがある。それがカンストである。カンストとはレベル最大状態を指す。そう、人生にはレベル最大値がないのである。自分がやろうと思えばいくらでもレベル上げが可能なのだ。私は今もこれからもレベル上げの最中にいるだろう。私はこの藝大でひたすらレベル上げに励みたい。人生にカンストは存在しないのだ。