新入生からの寄稿
Luminescence
学部1年 漆間 虹美
思い返せば、私は長い間音楽との関わり方を模索していた。音楽中学・高校に通いながらも、音楽以外のことにいろいろと着手するうちに、自分の好奇心旺盛な性質を活かした音楽との付き合い方を見つけたくなったのである。
音楽学の存在を知った時、「これしかない」と思った。自身の興味がある対象を研究できるなんて最高ではないか。まるで暗闇の中で突如発光する蛍の光に吸い寄せられたかのように、ぼんやりとしていた将来の道が開けた瞬間だった。
楽理科に入学してすぐに思い知ったのは、自分の見てきた音楽の世界が非常に限られたものであったということだ。ピアノ科としての中高生時代、実技試験の度に過度に緊張し、試験が音楽の全てだとも感じていた自分に、「たかが実技試験ではないか」と言いたい。今私は、音楽のことを知りたくて、考えたくて仕方がない。そして楽理科には、同じく音楽学を専攻する同期が二十名以上いるうえに、頼れる先輩も、尊敬できる先生方もいる。贅沢すぎる環境だ。楽理科という居場所に巡り合えた幸せを、入学して時が過ぎていくほどに身に沁みて感じる。
初めに「音楽以外のことにいろいろと着手するうちに…」と述べたが、この「いろいろ」とは、「声を出すこと」の一言で集約できる。例えば、演技をすることは私の生きがいであるし、朗読もアナウンスも好きだ。趣味は早口言葉である。小学生の頃は放送委員に立候補し、高校では司会をやらせてもらえそうだからという理由で生徒会の議長を二回務めた。音楽に向き合う傍ら、それほど声を用いた活動にもやりがいを感じていたのだ。
最近私には夢ができた。それは、音楽を自分の言葉で伝える人になることだ。楽理科の卒業生のなかには、大学やラジオ、コンサートホールなど、あらゆる場所で話す活動をされている方が多くいらっしゃる。私も、自分の声を使った音楽活動をしていきたい。音楽を言語化することがどれほど難しいか、初級演習などの授業を通して実感している真っ只中である。それでも、音楽について考え、議論し、自分の言葉で話す努力を続けたい。まだ私は楽理科の学生としてのスタートラインに立てたばかりだ。いつか「伝える」ことが自分の使命だといえるように、今は自分の感情に正直に興味を探求していこう。
この原稿を書いている六月に、私は生まれて初めて本物の蛍をみた。明るく不規則に点滅する蛍の光が描く空間は、幻想的で、他の場所とは違う時間が流れているかのようだった。蛍は体に蓄えた栄養を燃やしながら発光する。そして、その光は電球とは違い熱くならないらしい。情熱を燃やしながらも冷静に客観視できる、蛍の光のような研究者になりたい。初夏の匂いを嗅ぎながら、そんな風にふと思った。蛍の冷光を静かに眺めた時間を、私はこの先も忘れないだろう。
たかが藝大、されど藝大
修士1年 大村 航
藝大。ここは私にとって憧れの学舎だった。今思えば、ずっと何に憧れていたのかはわからない。ただ少なくとも、この憧れの出発点が、将来ヴァイオリニストになりたい、と夢をふくらませ始めた9歳の頃であったことは確かである。そして、あれから何回もの紆余曲折を経て、私は、ようやく、楽理科の一員として憧憬の地である上野で学ぶ権利を獲得した。
喉から手が出るほど憧れ続けた藝大でのキャンパスライフも、すでに2ヶ月が経った。学部時代を他大学で過ごした自分にとって、ここでの生活は全てが刺激的だった。例え ば、4月5日(水)に催された入学式。「共に創るワークショップ」と題された入学式は、赤色、桜色、クリーム色の大きな紙のいずれかに穴(=夢のかたち)を開け、それらを厳かなオルガン演奏とともに頭上のロープに飾っていくという内容だった。言うまでもなく、このような体験型の入学式は初めてで衝撃的だったが、それ以上に、この音楽と美術を掛け合わせたユニークな発想に基づく入学式は、音楽大学でも美術大学でもない、芸術大学だからこそ成しえるものなのだと深く感銘を受けた。また、日々の授業やゼミなどでもカルチャー・ショックを受けることはしばしばであった。授業やゼミの内容の濃さはもちろんのこと、ゼミで飛び交う先輩方や同期の的確かつ鋭い指摘や、普段の何気ない会話で垣間見える銘々の知識量には、いつも驚かされてばかりである。
さて、このような衝撃続きの環境下で学ぶ私には、常に自分に言い聞かしている言葉がある。それが、標題の「たかが藝大、されど藝大」。これは、高校時代の恩師がよく私に 言う言葉である。要するに、藝大生や藝大出身者には、憧れの藝大に入って満足してしまう「たかが」な人々と、入った後も常に志高く努力を続ける「されど」な人々がいるということである。もちろん自分が目指すべきは後者であるが、今のままではやや危険であ る。今年開催された第5回ワールド・ベースボール・クラシック(略称:WBC)の決勝戦前、大谷翔平は次のように言った。「憧れるのを、やめましょう」。そう、いつまでも憧れたままではいけないのである。憧れを捨てたその先で、自分は何をするのか、これが「されど藝大」の仲間入りを果たすためには重要なのである。だからこそ、周りの優秀さに肝をつぶすのは早々にやめ、まずは自分の満足いく研究成果を修士論文という形で提出できるように、日々自分と向き合い、知識を増やし、研究を進めていかなければならない。そしてそうしていく中で、自然といつの日か、「たかが藝大」ではなく「されど藝大」とし て周りから評価される時が来るのだと、私は信じている。