第23号

新任教員のご挨拶

楽理科に着任して

土田  牧子    

 日本音楽史担当教員として楽理科に着任してから、3ヶ月が経とうとしている。ひたすらに授業準備に追われた3ヶ月だったが、実に楽しい時間であったことこの上もない。自分の3ヶ月を振り返って、またその間に学生と接して、改めて感じるのは、楽理科は勉強しようとする者を妨げない場所である、という、本来大学にとって当たり前であるはずのことである。この当たり前が、なぜか脅かされているのが、近年の多くの大学における実態である。これを妨げられない藝大は、楽理科は、恵まれている。

 実際の大学生活の中で恵まれている時間だとつくづく感じるのは、とくに総合ゼミと大学院の演習である。最近の総合ゼミでは、海外の研究者が外国語で講演をすることも少なくない。学生にとって、世界の研究状況に学部生の時から触れることができる貴重な機会である(自分の頃はこれほど頻繁に海外の研究者が講演をすることはなかったと思うが、それほど真面目な学生でもなかったので、記憶が薄れているだけかもしれない)。大学側の立場から言えば、必要に応じて柔軟に開講したりしなかったりできる総合ゼミのような自由な授業(単位)を置いておけることも、恵まれているというべきだろう(昨今はコマ数・単位数の統制が非常に厳しい)。一方、大学院の演習では、学生自身による充実した研究発表とディスカッションが毎週のように繰り広げられる。Stimulatingという英語には、「刺激的」という意味の中に「元気づけられる」とか「わくわくする」といった意味合いがあると思うが、大学院の演習は私にとってその言葉どおりの時間となっている。

 無意識に書いてきたが、「時間」という言葉を何度か用いた。対象の如何に拠らず、歴史を扱う私たちは常に「時間」と対峙している。上記に述べたような充実した恵まれた時間が与えられているのは過去の所産であるわけだが、すでに述べたように最近では様々な要因から、大学における恵まれた「時間」が学生からも教員からも奪われようとしている(奪われつつある)。それに抗うために私たちができることは、ありきたりだが、過去の「時間」と向き合い、そこから学ぶことでしかないだろう。日本の音楽は、時代やジャンルによって音楽体系が異なる。記譜法や理論、楽器、理想とする発声、享受層などがいちいち異なる多様な音楽を包括的に教え、学ぶことは、教員にとっても学生にとっても簡単なことではない。しかし、大学で教鞭をとるようになって10年余り、その多様性から学べることは大きいと、強く感じている。表面的に薄っぺらな「多様性」をやたらと口にするよりも、過去の時間と向き合って、様々な価値観に触れることこそ、今この時間を的確に捉える力を生むだろう。今後も、学生と共に自分も大いに学びながら、この多様で深遠な世界を追求していきたいと思う。