新会員からの寄稿
逆境に悲観せず
学部1年 鈴木 崇朗
私が本学に入学した経緯は、大多数の学生とは異なるだろう。その昔、演奏家を志す高校生だった私は、大学に進学するか否かという大きな選択を迫られていた。専攻していた楽器が珍しいものだったため、世界中を探しても専門的にその楽器を学ぶことができる大学を見つけられなかったのだ。結果的に、当時の私は大学に進学しないことを選択する。その後、高校を卒業して間もなく短期的な留学(師を求めて海外へ行くという意味)を繰り返しながら国内での演奏活動を開始し、音楽家として生きていく術を師から、そして活動の現場から学ぶうち、気付けば現在に至るまで十数年間、音楽活動で生計を立てることができていた。
その中で、昨年春、新型コロナウイルスによるパンデミックが発生する。この感染症の流行は世界中の人々の生活を一変させたが、演奏家にもかなり大きな影響を与えることとなった。3月以降の公演の延期、中止が相次いだのは想像に難くないだろう。初めは、少し休めて良かった、程度に楽観視していたが、状況は悪化の一途をたどり、収束の兆しは見えないままで、時が経つにつれ、その楽観はいつの間にか危機感に変わっていく。しかしその一方で、この人生最大級の危機はまた、未だかつてないほど長い「時間」を私に与えてくれた。今後二度と得られないかもしれないこのまとまった時間を何に使えるか、そしてまとまった時間がないとできないものは何か…そう考えたとき真っ先に思いついたのが、大学受験であった。なぜ今になって、と突拍子もない思いつきのように思えるかもしれない。しかしそれは、自分に不足しているであろう音楽に関する知見を得たいという思い、また、人生における変化への欲求や今後の音楽活動への好影響の思惑など、さまざまな理由により導き出された決断で、現在の自分にとって最適な選択であった。それは留学を決意したときの感覚にも似ており、この先の人生の中でも最も大きな選択の一つになったと思う。その後、自分にとって良い師に恵まれ、また、かろうじて中止にならなかった仕事の日程が上手く調整できたこと等、幸運が重なったこともあり、無事本学に入学することが許された。
4月から授業が始まったものの、新型コロナウイルスをめぐる世の中の状況は、昨年の同時期に比べて変わらないどころか、むしろ悪化しており、大学ではオンラインでの授業が中心となっている。現状、大学で学ぶことの醍醐味を存分に享受できているとは言い難いが、オンライン授業にもそれなりの利点はあり、マイナス面ばかりではないのも事実だ。とにかく、どんな状況でもベストを尽くすことができれば、道は開けると信じている。耳を開き、眼を開き、貪欲に、柔軟に、大学という環境を最大限活用して学びを得たい。そしてこの限られた時間で、音楽家としてさらなる進歩を遂げる糸口を見つけられることを願っている。
「藝大生」への道のり
修士2年 谷田部 蘭香
藝大に通う人の多くは、「藝大生」というアイデンティティに誇りを持っているように見える。そして周りの藝大生に対しても、強い仲間意識を抱いている印象がある。厳しい入学試験を突破してきた者どうしだからこそ生まれる絆なのかもしれないし、何より自分達が学んでいる(た)環境に対して誇りを感じることができるのはとても素敵なことである。世間から藝大が憧れの目を向けられる理由には、これも関係しているのかもしれない。
修士課程に入学して、1年3か月が経った。音楽を多角的な視点から捉えることのできる楽理科での研究生活は、先生方だけでなく先輩方や後輩から学ばせていただくことも非常に多い。学部では政治学という異なる分野を専攻していた私は、刺激溢れる充実した日々を送っている。しかし一方で、自分自身が「藝大生だ」と胸を張って言えるのか、たまに不安になる時がある。その理由としてはやはり、藝大に入学したという実感が湧く経験をできていないことが大きいだろう。私たちは昨年度、オンライン授業により、キャンパスライフとは無縁の生活を送ることとなった。音楽学専攻の同級生と初めて顔を合わせたのは1年遅れの入学式だったし、最近まで自由に図書館を利用することもできなかった。昨年度末、オーケストラのお手伝いをさせていただくことになったのだが、ほとんど校舎に足を踏み入れたことのない私には、自力で1Hにたどり着くことは難しかった。そこで警備室に戻って1Hの場所を尋ねたところ、警備員の方に「現在は(感染症対策のため)本校の学生しか入構できないルールなのですが、どちら様ですか?」と部外者(学外者)扱いされてしまった。この出来事でも、私は藝大生にとっての常識を習得できていないという現実を目の当たりにすることとなったのである。
通学路である上野公園の緑豊かな景色、授業中に他の教室から聴こえてくる楽器の音色、キッチンカーに集う人達の個性溢れる髪色。この環境で数年間過ごせば、これらは当たり前として何も感じなくなってしまうだろう。しかし、藝大生にとっての「当たり前」をまだあまり経験したことのない私にとっては、入学から1年以上が経過した現在も、新鮮なことばかりである。そう考えると、このような社会状況だからこそ、ひとつひとつの小さな「藝大らしさ」に喜びを感じることができているのかもしれない。そして、制約の多い毎日を送っていることで、音楽が社会に果たしうる役割や音楽史を学ぶ意義について気付けることも多くあると思う。藝大、そして楽理科という空間で学べることに感謝しながら、残りの学生生活も過ごしていきたい。