第18号

新会員からの寄稿

「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」

学部1年 川村 麗倭皇

 授業が開始してから現在まで私は自宅という名の大学に通っている。7時に起き、部屋を出たら朝食を食べ、歯磨きをして部屋に戻る。これが大学までの道のりである。移設が完了した上野駅の改札を通らずとも、そもそも家から外に出なくとも大学に着いてしまう。何故このようなことが可能なのか、それは(既にご存知の方も多くいらっしゃるとは思うが)全世界で今もなお猛威を振い続けているパンデミックの影響により東京藝術大学では現在ほぼ全ての授業がオンラインにて行われているためである。たとえ、上野校舎に足を踏み入れたいと望んだとしてもそれは叶わぬ夢なのである。

 入学前の私が想像しえなかったこのような足腰に優しい授業形態を聞いて羨望の目を向けている方もいらっしゃるのではないだろうか。実際、授業が開始してから一ヶ月ほど経つがこれほどまでに筋力を伴わない通学はいままでに経験したことのないものであり、そして実に楽である。オンライン授業による利点は前述の通学だけに留まらず授業中に通話先から聞こえてくる猫の鳴き声など枚挙に暇がないが、しかしそれは逆も然り、音声の不明瞭さやオンライン化によって増えたであろう膨大な数の課題等に対する不満は今誰しもが感じているところかと思われる。また先生方からしてみれば学生が授業内容を理解できているか、またはそうでないかの当否を知り得ないという点も重大な問題であろう。しかし、現在私が直面している多くの障壁の中で最も大きなものは「自分とは何者であるか」という疑問である。この疑問に答えることは至極容易である。「あなたは藝大楽理科生である」と、鏡の前の人間に言い聞かせればいい、ただそれだけのことなのである。しかし何度言い聞かせようと、私はその人間を納得させることができないのだ。というよりも、自覚させることができないと形容したほうが適切であるかもしれない。そもそも何故このような疑問が生じたのだろうか、それは通常であればこの自覚が大学(自宅ではない)に通い、その環境に順応することによって自ずと得られるものであるためだ。したがって、大学校舎に足を踏み入れていない私がこの自覚を得られないのは当然のことのように思える。しかし、自覚を得る方法は大学の環境に身を置くことだけではない。もう一つの方法は楽理科生としての矜持を得るまで自己を研鑽していくことである。これは受動的に得る自覚ではなく、能動的に得た真の自覚と言えよう。

 「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」これは、ベートーヴェンが残した有名な言葉である。この言葉から、彼が難聴という苦しみを乗り越えて真の歓喜を得たのだろうと私には感じられる。彼の苦しみには到底及ばないが、真の自覚を得るまでにはある程度の時間と困難が伴うことだろう。しかし、それを乗り越えることで真の自己性を獲得した存在が4年後にどのようになっているのか、大いに期待するところである。


コロナ真っただ中の新生活

修士1年 井上 玲

 楽理科大学院入試の最終日。最後の試験科目だった口頭試問を午前中に終え、9月下旬の木漏れ日さざめく上野公園をぶらついていた私は、心中穏やかでなかった。ようやく終わった、受かっているだろうか、不合格だったらどうしよう、卒業論文にもそろそろ向き合わねば──実に様々な思いが泡のように浮いては消え、浮いては消えを繰り返していた。しかし、まさか入学して3ヶ月を経てもなお上野の校地に足を踏み入れることのできない日々が続いているなどとは、当時の自分はつゆほどにも想像していなかったのである。

 今春に入学を迎えた学生の多くは、今なお戸惑いを持って生活しているに違いない。私もその一人だ。他大学の学部で美術史学を専攻して卒業し、この春に楽理科の修士課程に入学して3ヶ月が経つが、不勉強にして音楽学研究に触れた経験がまだ少ない上に、外出自粛で学校にも行けず、しかも外部受験ゆえつい先日まで同級生の誰とも会話をしたことがなかったという状況は、なかなか堪えた。しかし、入学直後の4月に指導教官の先生が気遣ってメールをくださったり、5月にはリモート授業が開始するなど、未曾有の混乱の中でも安心して授業を受けられる体制を整えてくださった楽理科の先生方や藝大職員の方々には、本当に感謝の念に堪えない。

 現在、音楽の世界が大きな転換点に立たされていることは誰もが認めるところだろう。対面での演奏会や合わせ、レッスンなどのハードルは未だ高いし、可能になる見通しもなかなか立たない。私自身リコーダー奏者としての活動も行なっているのだが、数多くはないが3月〜5月にかけて各地で予定していた演奏会はいずれも中止・延期となり、唇を噛んだ。日本のみならず、新型コロナウィルスはヨーロッパ大陸とアメリカ大陸をはじめとして世界的に猛威を振るっているが、このような国家の枠を超えた地球規模でのパンデミックが発生していること、そしてその現況を逐一リアルタイムに知ることができることは、交通網・情報網の飛躍的発展によってグローバリゼーションが進んだ現代社会を象徴する現象と言えるだろう。そして、今回のコロナ禍によって社会はさらなる情報化が進むことになるだろう。

 このような世界的危機の下で、音楽は、音楽学は、何ができるのだろうか。「アフターコロナ」の時代に、音楽はどこに活路を見い出すことができるのだろうか。その答えを私はまだ見つけることができていない。しかし、幸いにも藝大楽理科という素晴らしい環境のもとで先生方や先輩方、同級生や後輩たちに刺激を受けながら切磋琢磨する機会をいただけた。このことに心から感謝しつつ、音楽史という過去を知り、考えることによって、現代で音楽が直面している問題に対して多少なりとも対処できるような手がかりを見出すことができるのではないだろうか、そう信じてただ謙虚に努力するばかりである。