第12号

卒業生より

真珠の山を登る女

室田 尚子(音楽評論家)

 「0室の助手になるくらいならコンビニの売り子になる」と啖呵を切っていた生意気な18歳がなぜか大学院に進み、0室非常勤助手を2年半勤めた後、足かけ10年に及ぶ芸大生活から「社会」に乗り出して行ったのは1993年。そのとき私がもっていたのは、非助手時代に書かせていただいた数本の原稿というクモの糸より細いキャリアだけだった。それから20年あまり、曲がりなりにもフリーランスの「音楽評論家」という肩書きで仕事ができているのは、ひとえにあの生意気な小娘を見捨てず、時には叱り、時には暖かく応援してくださった楽理科の先生、先輩方の存在あってのことだと痛感している。
 コンサートの曲目解説を書くことから始まった私の仕事は、今、予想もしないところまで広がっている。書く仕事だけでも、中心にしているオペラ以外にもヴィジュアル系、少女マンガ、ネット・コミュニケーションなどのジャンルを渡り歩いているし(最近はワインの取材でカリフォルニアに行った)、NHK-FM「オペラ・ファンタスティカ」のパーソナリティとしてラジオでしゃべったり、少し前にはNHKテレビの「名曲探偵アマデウス」に出演する機会も得た。その他には、大学の非常勤講師や市民講座の講師もさせていただいている。
 基本的に私のノリは「アカデミック」というより「ポピュラー」、「オタク」よりは「ミーハー」が基本。自分の愛する音楽(やその他)がどれほどステキで魅力的か、ということを、できるだけやさしい言葉で、自分らしく語ることを心がけてきたつもりだ。プライベートでは40をすぎて子供を産むという暴挙(?)に出て、「男児の母」という新しい仕事も増えた。こちらに関しては、何より夫と、近くに住む夫の両親の助けなしにはなし得ない仕事だと痛感している。
 思えば学生時代から、私は出会いに恵まれていた。今だって、仕事も家庭も子育ても、私ひとりの力だけでやっているわけでは決してない。かつて、大学院を辞めようという相談に行ったとき、指導教官でいらした船山隆先生はいみじくもこうおっしゃった。
 「あなたは真珠の山の上に立っていることをわかっていない。」
 自分の「真珠の山」の価値に気づいた今、かつての生意気な小娘は、行けるところまでこの山をのぼり続けようと思うのである。


新会員からの寄稿

三度目の大学入学

細川 ひとみ(学部1年)

 社会人としての受験は厳しいものだった。センター試験、2 次試験は、仕事と主婦のかたわら、勉強時間も十分に取れないまま本番を迎えてしまったので、受かるとは思っていなかった。 
 高校三年の時、芸大ピアノ科を目指したが三次で落ち,他の音大に通った。その後ドイツの音大に進み、卒業。帰国し秘書をしているうち、出産する友人の代役としてバレエの伴奏に偶然出会うことになる。それまでピアノ演奏をとおして純粋に「芸術音楽」を追求してきたが、それが通用しない舞踊の世界がそこにはあった。自分なりの音楽を演奏すると、ダンサーは踊りにくいらしい。また、踊りに合わせようとすると、不自然な音楽になる。しかし「音楽に助けられて、とても楽に踊れた」とダンサーに言われたとき、自分も気持ちよく演奏していたことに気付き、音楽の力を改めて感じた。これをきっかけに、いつか音楽と踊りの関係を理論化しようと考えた。 
 4 月から始まった楽理科での学びは日々、新鮮で楽しい。演習、発表、読むべき文献、語学など研究の基礎となる勉強が山ほどある。しかし、主婦大学生は忙しく、準備や勉強の時間は、通学の電車と大学の休み時間だけで、家事やピアノの練習に追われる毎日だ。それでも、少ない時間を有効に使って、実りある大学生活にしたい。 
 2011 年 3 月 11 日は、日本の大きな転換期となったように、私にとっても一つの変わり目だった。もし明日この世の終わりが来ても悔いのないように、音楽を通して、人のため、自分のためにできることを「今」したい。


芸大5年目にして始まった楽理科での新生活は…

菅沼 起一(修士1年)

 日本中が本格的な梅雨入りをし、雨の日が続く6月初旬の朝にこの文章を書いている。学部時代を古楽科という所でひたすらリコーダーを吹いて過ごしてきた私にとって、楽理科の生活というものは非常に「不慣れな」スタートであり、三ヶ月目に突入している今でも毎日が試行錯誤の連続である。これまでとは全く異なるカリキュラム、全く異なる生活リズム、そうした自分と異なる生活リズムで過ごす学生たち…自分を取り巻く新しい環境にこれまでの生活とのギャップを感じつつ、それを感じる暇さえ与えさせないような勉強量に必死に食らいつく毎日を過ごしている。
 しかし、そうした学部時代との差異がある一方で、なぜかそこには不思議な一貫性も感じるのである。それは、学部時代「古楽」というレパートリーをひたすら演奏してきた上で、修士に入った今でも研究の分野が同じ「古楽」だからであろう。古楽科時代、未知の曲を探し楽譜を漁り、音に出してみて、その曲やそのレパートリーについての文献を読みふけり、そうして自分の裾野を広げていったのと同じように、楽理科でも古楽に関する論文を読み、自分の知らない事実や音楽と出会い、「じゃあそれを音に出してみよう!自分が学んだ事実や視点でプログラムを組んでみよう!」と、新たに得たものを継続中の演奏活動に組み込んで行くのに加え、古楽に留まらない山のような事柄を勉強する生活の中で、むしろ自分の中の引き出しは増える一方である。
 そのような急激な間口の広がりは、この新しい生活が起爆装置になっていることは言うまでもない。そう思う度、昨年リコーダーを全く吹かず一夏を全て費やした、あの大変な大学院の入試を受けると決めた自分の決断は間違っていなかったと強く実感する。このような環境で勉強できる機会と、それを与えてくださった先生方をはじめ刺激たっぷりの楽理科全ての人に感謝しつつ、今日も明日のゼミの予習をいそいそと始めるのである。


編集後記

 『楽楽理会通信』第12号をお届けします。デジタル版への移行後2度目の発行となりました。ご意見ご感想をいただければ幸いです。
 今号には、楽理科の一期生であり、楽楽理会会長としても長くご尽力くださった武石英夫先生の追悼記事を掲載いたしました。また、それぞれのユニークな歩みに関する原稿をお寄せくださった卒業生の室田尚子さん、新入生の細川ひとみさん、菅沼起一さん、ありがとうございました。
 今年は、5年に一度の総会・懇親会の年にあたっています。秋の上野での久々のオフラインの集まりにご期待ください。「楽理科就職支援バンク」へのご協力もよろしくお願いいたします。

発行:楽楽理会(会長・加納民夫)
編集:片山千佳子、塚原康子、東川愛、鎌田紗弓
2014/07/23発行